2006年07月19日

博士が愛した数式・小川洋子 →訂正:博士の愛した数式

私は学生時代数学が好きでした。
なぜならば、我々が習う数学には答えがあるからです。
答えを導き出すために考え出した数式は、それが正しければ必ず正解が求められます。
間違った数式ならば、問題と違った答えが出てしまいます。
やり方は色々ありますが、そのやり方が正しければ、どのやり方でも全て同じ解が導き出されます。

この話の中でも出てきたましたが、ゼロという概念は数字があみ出されたかなり後になって、その概念が発見されました。
今となってはゼロが存在することは当たり前ですが、ある意味不思議なことです。
数学というのは、簡単な今では常識であることを証明することが困難です。
1+1=2を証明することに全力を尽くしている数学者がいたということを以前聞いたことがあります。

数字というのは、非常に奥が深いものです。
正直であり、神秘なものです。
博士はまさに数式みたいな人でした。
記憶が80分しかもたないので、何度も同じことを聞きます。
1+1が必ず2になるのと同じように。
そして純粋無垢なのです。

現代社会は数式で表されないことが多いでしょう。
1+1が0になるときもあれば、3になる場合もあります。
でも、博士の世界は必ず2になります。
犯されていない純粋な世界だからです。
そして、純粋に義姉を思う気持ちも、数式のようにいつになっても答えは変わりませんでした。
義姉は0や3に答えを変えようとしましたが、博士の答えはいつも数式と同じ2でした。
そして最後に義姉も1+1=2になったのでした。


posted by 中は切っても発出さん at 23:31| 岐阜 ☔| Comment(3) | TrackBack(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
"博士「の」愛した数式"なのに、と
相変わらずのチョンボに笑いつつも、
これが本当に"博士「が」愛した数式"というタイトルだったら
どうだったかなと、考えてしまいました。

その結果、博士宅の家政婦、という客観的な立場の主人公からすれば、
博士「が」とするより、博士「の」とした方が
やはり奥ゆかしさというか、傍観者的な雰囲気が出てくる気がします。

タイトル付けというのは、やはり重要なファクターだと痛感。
Posted by 39bon at 2006年07月20日 00:53
あの本の中で1を移行するだけで
意味がまったく違ってしまうオイラーの法則。
いや、数学としてではなく文学というか
文系の人間が考えそうな話。
Eπr+0=−1.
このマイナス1はなくした命、
失ってしまった人間関係。
私たちはこのなくしたものを抱えて
生きていかなければというラブレターがあって。

Eπr+1=0
このプラス1は博士の元へやってきた
ルートと家政婦さんとの関係が
うまく回りだしたところへ
わだかまりを捨てた義姉が加わることで
ゼロ・・というよりは丸く収まった、
大団円・・・といったとこでしょうか。

この本の作者が取り上げる数学というものが
どこまでも文学的で
そのせいか頭を抱える公式も
物語のように説明してもらえるとすごく
すんなり入ってきました。
Posted by Ageha at 2006年07月20日 09:08
39bonさん
またやっちゃいましたよ。
だ〜から見直ししなさい、って昔から注意されていました。

ところで、博士「が」にすると、特定の数式のように感じられます。
博士「の」ですと、数式全体を愛しているという感じに読み取れます。
日本語は難しい。

Agehaさん
>この本の作者が取り上げる数学というものが どこまでも文学的で
数式も文学的に考えれば、結構頭に残ったかもしれませんね。
推理小説なんかも、論理的なことを文学的に書いている読み物だと思います。
そういった意味で、この本も推理小説の仲間かもしれません。
Posted by 中は切っても発出さん at 2006年07月22日 21:36
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