2005年12月20日

キッチン・吉本ばなな

今から15年以上前の小説ですが、当時読んでいなかったので、遅ばせながら読みました。
発売当時は、女の子が読む単なる恋愛小説だと思って、読んでいなかったのですが、一風変わった恋愛小説ですね。
確かに恋愛を扱ったものですが、恋愛がメインではありません。
しかし、男と女の生々しさをところどころに表しており、その意味では恋愛小説なんでしょう。
つまり、直接的に恋愛を取り扱っておらず、周りの人間との関係をからませて、恋愛を書いているのでしょう。
今まで読んだことのない恋愛小説であり、非常に満足したと同時に、発売当時読んでいなかったことが悔やまれました。

この小説は吉本ばななが大学を卒業した頃の作品です。
ところで、鷺沢萠も学生作家で、若かりし頃は恋愛小説をメインに書いていましたが、彼女の作品は私が同世代であることもあり、共感できるものがあります。
私は、彼女の恋愛小説は、(いい意味で)少し歪んだ感性・少し冷めた目で書かれいると思います。
そこが彼女の小説の好きなところです。
吉本も私と同世代ですが、この作品は鷺沢とは違い、素直だけれども一般的ではない感性でかかれており、それはそれで私にとっては新鮮でした。
(うまく表現できませんが、吉本の感受性が私と異なっており、そこに新鮮さを感じたのでしょうか)
最近、若い女性作家が登場していますが、綿矢りさや島本理生はまだまだ吉本や鷺沢の域に達していないと思います。

今年は結構小説を読んできましたが、小説っていいもんですね。
今まであまり読んでこなかったことが悔やまれます。
来年は今年以上に本を読みたいと思います。

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2005年11月14日

ベンチャー経営論・柳孝一

最近話題を提供している、楽天、ライブドア等、ベンチャー企業の勢いは衰えていません。
私はかねてより、ベンチャー企業とは、オリジナルの技術やマネジメントを武器にしている企業だと考えております。
だから、新規に事業を起ち上げたとしても、他社の模倣であったり、単なる下請けではベンチャー企業とは呼ぶことができません。
そういった意味では、ソニー、ホンダ等は今では世界的な企業ではありますが、ベンチャー企業でしょう。
最近のトヨタも、ベンチャー企業的なところがあります。

本書は、そんなベンチャー企業を「四面体理論」により、多方面より分析を加えております。
第T面から第W面までの細かな分析は、ベンチャー企業を理解する上で、大変な助けになります。
リスクの高いベンチャー企業ですが、本書を参考にすれば、成功への確立は高くなるものだと考えます。
また、具体例も豊富であり、読んでいて納得のベンチャー解説書です。

私も、仕事柄ベンチャー企業の経営者と会う機会が多く、彼らの仕事への取り組み方を知る為の一助となる本です。
まだまだ、景気も冷えておりますが、元気のあるベンチャー企業が数多く生まれることを望みます。
そして、元気な日本にしたいものです。

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2005年10月26日

シルエット・島本理生

先日、江國香織「きらきらひかる」のエントリーで、
>結婚=恋愛とは違う、新たな夫婦関係を描いています。
>お互いの(致命的な)欠点を補いつつ、お互いを尊重していくというのも、
>面白い夫婦関係だと思いました。
と書いていましたが、「結婚=恋愛とは違う」だけではなく、肉体関係のない恋愛関係のお話なんですね。

今回の「シルエット」はその逆で、恋愛感情はお互いにあるのだけれど、男性のトラウマのため肉体関係が持てず、その関係が続かないお話なんです。
主人公は、一番好きだけれども抱いてくれない男と、抱いてくれる好きな男とでは、後者を選んでしまうのですね。
ふーん、女ってそんなもんですかね。
しかも、この主人公の女は高校生ですよ。
今時の女子高生って、プラトニックよりもフィジカルを選択するんですね。
逆に、フィジカルな関係がないと、恋愛関係を確認できないんでしょうね。

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2005年10月15日

ウエルカム・ホーム・鷺沢 萠

結婚して10年以上経ちました。
二人の子供にも恵まれました。
嫁も子供も私の家族です。
実父も同居しています。
彼は確かに私の父親で、家族の筈です。
しかし、本当に家族と思えうることは殆どありません。
同居人みたいな感じです。

家族ってなんでしょう。
それぞれの喜・怒・哀・楽を分かち合えることがなければ、家族ではありません。
自分のことも大事ですが、それと同じように家族のことも大事に思えなければ、それは家族ではありません。
自分中心であっても、他の家族を思う気持ちがあれば、それはそれでいいと思います。
他の家族のために自分を犠牲にしてしまうことばかりが、家族でもないでしょう。
それぞれの生き方を持ちつつも、それでも他の家族を思いやる気持ちを持っていればいいのです。
そういった意味で、私の父は家族ではないのでしょう。

この小説は、鷺沢さんの晩期(という言い方も変ですが)の作品です。
彼女の作風は、終期には「家族」「血縁」等がメインテーマになっていたと思います。
この小説も、血の繋がりがなくても家族って成り立つんだよ、と語っています。
内容は非常に読みやすく、短時間で読めますが、しっかりとしたテーマは伝わってくる作品です。

さて、数年前から嫁は私に言います。
「私のこと女と見ていない」と。
そりゃ、あんたは私にとって家族になってしまいましたからね。

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2005年10月13日

いま、会いにゆきます・市川拓司

こんな強い女性がいるのでしょうか。
自分の人生の結果がわかりながらも、その人生を全うしていくなんて、
私にはとても想像がつきません。
それでも、愛する人のため、愛する子供のため、その人生を受け容れてしまう。
そうしなければ、二人とも(少なくとも子供は)幻となってしまう。

またまた、涙して読んでしまいました。
40歳を前に、近頃涙もろくなってしまいました。
「世界の中心で、愛をさけぶ」も「天使の卵」も泣きました。
この三作品、すべて愛する女性に先立たれ、男が残されてしまう話です。
死んでいく女が、残されいく男を最後まで温かく包んでいくお話です。
男は過去を引きずって生きていく動物なんです。
結局、女性の強さにはかなわないものがあるのです。
だから、そんな物語に涙してしまうのです。

ストーリー的には、セカチュウや天使の卵のほうがいいかもしれません。
でも、この本も、男の琴線に触れる物語です。

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2005年10月08日

戦後教育で失われたもの・森口朗

デビュー当時の尾崎豊が、「15の夜」や「卒業」で”先生や大人は、俺をわかってくれない。そんな大人なんかになりたくな〜い”と歌っていました。
私も、尾崎ほどではないにしても、同様の気持ちは持っていました。
だから、現状の社会に反抗する→左翼的発想、に陥っていました。
しかし、社会に出て、そんな不条理は当たり前なんだということを、身をもって知ることになります。
学生は、見かけは大人でも、親や学校や国の保護下に置かれている、”未成年”なんです。
だから、先生や親などの大人と対等であるわけはないんです。
でも、そんな不条理に反抗したりしても、学生は結局耐えることしかできません。
そしてそれが現実社会の不条理に対応する学習の場であったことを、後になって知るのです。

さて、本書では戦後教育(「教育基本法」)が、日本人の常識を失わせてしまった、と書いています。
人間は皆平等で、子供にも人権があり、先生と生徒も服従関係ではありません。
世の中平等であるわけはありません。
生まれながらに不平等なんです。
でも、戦後教育はそんなことは教えません。

本来、学校というところは、勉強以外の社会の仕組みを教えるところなんでしょう。
世の中は、「不平等」で「不条理」だが、それを「受け入れ」、「生き抜く図太さ」を学ぶ場なのです。
そして、自分の所属する共同体(国家、学校、職場等)に誇りを持ち、その中で生きる喜びを持たなければいけないのです。
戦後教育はそれをスポイルしてしまったのです。
だから、ニートというものが異常発生するんです。
社会や学校に反抗することもせず、というか反抗する術を知らない子供が大人になってしまうのです。

尾崎は大人へ卒業できなかった、と以前書いたことがありま。
でも、彼はまだ学校の不条理を感じ取り、反抗していたのです。
今の若者のなら、ニートになってますよ。
でも、尾崎もニートも結局戦後教育の犠牲者なんですね。
子供を持つ親となり、教育ってなんだろう、と真剣に考える今日この頃です。


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2005年09月04日

きらきらひかる・江國香織

人間には3種類の性別があります。
一つは体の性別。
いわゆるSEXというものです。
男女の体の違いです。
二つ目は社会的・文化的な性別です。
横文字にすると、ジェンダーです。
「男は度胸、女は愛嬌」なんていう差別ですね。
そして恋愛対象の性差。
これはセクシャリティーと呼ばれています。
恋愛対象が、男なのか女なのかというものです。

世間一般の男性では、SEX=男、ジェンダー=男、セクシャリティー=男(女性を恋愛対象とする)、という人が多いでしょう。
SEXを変えることは非常に困難なことです。
しかし、ジェンダーやセクシャリティーがSEXと逆の人は、結構います。
ジェンダーが逆の男性はオカマですね。
セクシャリティーが逆の男性はホモです。

この本の主人公はホモの男性と、アル中の女性で、お互いの素性を知った上で結婚しました。
当然、世間一般の夫婦の関係とは違います。
でも、そんな二人が、恋愛関係はないが、夫婦としての関係を築いていく物語です。
結婚=恋愛とは違う、新たな夫婦関係を描いています。
お互いの(致命的な)欠点を補いつつ、お互いを尊重していくというのも、面白い夫婦関係だと思いました。

posted by 中は切っても発出さん at 20:01| 岐阜 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月15日

エキスペリエンツ 団塊の7人・堺屋太一

あとがきで著者は、「団塊お荷物論」を否定しています。
確かに戦後日本を作ったのは、団塊の世代です。
しかし、同時に壊したのも団塊の世代だと私は考えています。
団塊の世代は、会社のため、日本のため、汗水流して働いてきました。
それはすばらしいことだと思います。
しかし本当に日本のためになったのでしょうか。
本当に後に続く世代のためになったのでしょうか。

何故いま「団塊お荷物論」が出ているのでしょう。
結局、彼らの残してきたものがないからです。
いや、負の遺産を残してしまったからでしょう。

本書に登場する団塊の世代7人。
銀行員、そば屋の女将、建築家、商社マン、広告マン、介護NPOの代表、銀行の運転手。
銀行、ゼネコン、商社、広告会社、みなバブルの崩壊とともに崩れていった業種です。
全て団塊の世代全盛期に、全盛になった業種です。
そば屋もバブル末期に、ビルを建ててしまったとう設定。
バブルに踊らされた人です。
介護NPOも、年寄りを介護する家族がいないために発足したといえます。
団塊の世代が、ニューファミリーを作った大きな層です。

本書は、最近問題になっている、駅前商店街の活性化を中心に話は進められています。
このような地域振興は、結局は地域のコミュニティーの力が必要になります。
いくら行政や大手デベロッパーが仕掛けても、コミュニティーが中心になっていなければ、成功は困難です。
本書では、団塊の世代の活躍により、なんとか成功に終わります。
話としては、非常に面白く読むことが出来ました。
しかし、その地域のコミュニティーをなくした張本人が、団塊の世代であることは、私は指摘したい気持ちになりました。


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2005年07月26日

スタイリッシュ・キッズ・鷺沢萠

鷺沢さんの初期の恋愛小説です。
丁度バブルの終わりの頃の話で、格好の良いまま別れたい、という女子大生のお話です。
大学生というモラトリアムから抜け出したくない、バブルのような華やかさから離れたくない、という感じが伝わってきます。
詳しくは読んでいただきたいのですが、彼女の同世代の私としては、とてもよく理解できるお話です。
それにしても、20歳そこそこでこの本を書く能力は実にすばらしいのでは。
惜しい人を亡くしました。

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2005年07月17日

「天使の卵」「天使の梯子」・村山由佳

昨日に続き、本の話を。
今回のこの2冊は、本当にお薦めです。
涙なくして読めません。
特に「天使の卵」のラストは久し振りに号泣しました。

先日「ノルウェイの森」をエントリーしましたが、それを読んだ職場のO野君が勧めてくれたのが「天使の卵」でした。
そして、その完結編となるのが「天使の梯子」です。
この2作品に共通するテーマとして、”残されるものの辛さ”というものがあります。
最愛の人を無くした時、残った自分は何なんだろうと考えることがあります。
私はありがたいことに、今まで愛した人が亡くなった経験はありません。
しかし、一番自分を愛してくれた(だろう)母を亡くしています。
ハッキリ言って、母親には迷惑をかけてきたと思います。
しかし、そんな私を温かく見守ってくれました。
母が最後に私に言った言葉は
「お金大丈夫か」
でした。
私は(江戸っ子ではありませんが)宵越しの銭は持たない性質で、いつも懐をピーピー言わせて、母からお金を無心していました。
そんな私に母に対して死ぬ間際まで金の心配をしていたのです。
情けないやら辛いやらの話です。

そんな私の情けない話は置いといて、是非この2作品は読んでいただきたいお薦め品です。




さて、本日を持ちまして、当ブログは2年目に突入しました。
そして、今回が301回目のエントリーです。
1年で丁度300回ということで(別に計算したわけではなく、たまたまそうなってしまいました)、よく続いたものだと感心しています。
この一年の間にこの拙なブログにも多くの方からコメントをいただきました。
本当にありがとうございます。
ブログを通じて多くの方と知り合えたことに、感謝しております。

さて、コメントを下さる人の中に「盥アットマーク」さんがおられました。
盥さんのブログは非常にシニカル且つしっかりとした眼で書かれており、楽しみ読ませていただきましたし、非常に参考にさせていただきました。
しかし、ある日突然ブログを閉鎖されました。
どんな理由があったのかはわかりませんが、なにかポッカリ穴が開いた感じがしたといっても大袈裟ではありませんでした。
”残されたものは辛い”のです。
盥さんの復帰を祈りつつ、いつまで続くかわかりませんが頑張っていきます。
(白猫さんも早く戻ってきてね)
posted by 中は切っても発出さん at 00:07| 岐阜 ☔| Comment(5) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月16日

さいはての二人・鷺沢萠

私は鷺沢さんの本は、彼女が亡くなるまで読んだことがありませんでした。
元々あまり小説は読まなかった上に、女性作家の本などほとんど読んだことはありませんでした。
渡辺淳一、五木寛之、筒井康隆等は読みましたが、女性作家の本はあえて読んでいませんでした。
だから、彼女が去年の4月に自殺しても、”ああ、そんな作家いたな”くらいの認識でした。

ふとしたきっかけで、彼女の小説を読みました。
「帰れぬ人びと」、これは彼女が芥川賞候補になった作品です。
彼女は学生作家でして、この作品が発表された頃は上智大学生でした。
若い女性の小説の割には、非常に私には重い作品と感じました。
重いと言っても、森村誠一のようなドスンと重いものではなく、なんとなく重みを感じるのです。
申し訳ありませんが、綿矢りさはかなわないでしょう。

彼女は中小企業の社長の4人姉妹の末っ子で、子供の頃はお嬢様のようでした。
しかし、高校のときに父親の事業の失敗と死、本人は作家デビュー後結婚・離婚と少し波乱の人生です。
また、彼女の祖母は韓国人で、韓国人のクォーターです。
彼女の作品には、その底辺に家族・死・生・国籍・それらを含めての愛等彼女の匂いが感じられます。

さて、今回は最近文庫化された、「さいはての二人」を読みました。
アメリカ人との混血少女と、在日韓国人被爆者とのお話です。
アメリカ人との混血のために不幸な人生を送ってきた少女と、アメリカ人の投下した原爆が原因で結果的に死んでしまう在日韓国人との物語。
この物語には、鷺沢独特の家族・死・生・国籍・それを踏まえたうえでの愛のすべてが描かれています。
この本の帯に書いてある
 切なくて、胸が
 きゅんとなる小説
という言葉が本当に胸にしみこみます。

鷺沢.JPG
この写真は、「帰れぬ人びと」に掲載してあるものです。
20歳過ぎのものでしょう。
当時の女子大生らしい写真です。
そんな女子大生も十数年後自ら命を絶ってしまいます。
彼女が”家族・死・生・国籍・それを踏まえたうえでの愛”をどのように考え、そして自ら命を絶ったのでしょう。
この写真を見てそんなことを考えると、”切なくて、胸が きゅんとなる”私です。



posted by 中は切っても発出さん at 23:18| 岐阜 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月07日

ノルウェイの森・村上春樹

確か「世界の中心で愛をさけぶ」が抜かすまで、売上bPだった小説。
この作品が出てから20年近く経って、初めて読みました。
とても読みやすく一気に読んでしまいました。
「セカチュウ」も単純で好きな小説ですが、「セカチュウ」とは違う恋愛悲哀小説でした。

さて、この物語はキズキと直子の世界と二人とワタナベの関係、ワタナベと緑の関係が重要だと思います。
キズキと直子は同じ世界にいる二人で、その二人と他の世界を繋げるのがワタネベ、そしてそのワタナベと普通の世界を繋げるのが緑だったと思います。
キズキと直子はその特殊な二人だけの世界を持っており、その世界を抜け出そうとしますが、結局は抜け出せず、キズキは自ら命を絶ってしまいます。
残された直子は同じ世界のキズキを失い、普通の世界へ抜け出すことをワタナベに託すも、結果的にはキズキと同じ運命を辿ります。
直子がキズキとの世界から抜け出すチャンスが一回あったと私は思います。
それは直子が20歳の誕生日にワタナベと結ばれた日です。
その時、直子がキズキとの世界に完全に別れを告げるか、ワタナベがもう少し強引に直子を自分の世界に迎えることが出来たら、直子はキズキとの世界から脱することが出来たのではないでしょうか。

ワタナベも完全に普通の世界の中にいるわけではなく、限りなくキズキと直子の世界に近い世界に生きている人間でしょう。
だから、二人はワタナベにその世界と普通の世界との橋渡しを託したのでしょう。
故に、ワタナベも二人の世界に入りやすい存在なのでしょう。
そのワタナベを引っ張るのが緑。
直子のことも緑のことも愛してはいても、世界の違う二人だから、同時に愛することも可能であり、許されるのでしょう。
二つの世界を彷徨うワタナベを描いた名作だと思います。

さて、私はこの本を読みながら、もし映像化されたらワタナベは妻夫木君だろうなと思っていましたら、アマゾンのカスタマーレビューにも同様の意見が載っていました。
結構貧困な発想だったのね。



↑ カスタマーレビューもご覧ください。
posted by 中は切っても発出さん at 22:21| 岐阜 ☁| Comment(4) | TrackBack(4) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月03日

バカにつける薬・呉智英

 バカをバカと言うことが禁忌とされるようになったのは、
 いつごろからだったろうか。
 (中略)
 近代社会・民主主義社会は、ばかという罵倒語を本来的に
 許容しないのではないか
 (中略)
 民主主義とは一言で言えば、馬鹿は正しい、という思想
 だからである。

この本の前書きにあたる『バカにつける薬』効能書の一節です。
私が別にバカではないとかいうつもりは毛頭ありませんし、そんな人間でもないのですが、確かに最近のバカの増殖には辟易することがあります。
その人が賢いかバカか、正しいか間違っているかは、客観であるべきことなのに、自分のことを主観で語ってしまう人が多すぎるのです。
私もその傾向があるので、気をつけなければいけませんが、微塵たりとも自覚していない人が多いことは事実です。

本書では、些細なことに対して呉が批判を書いております。
それだけを読めば、いちゃもんをつけているかに思われます。
しかし、呉はディテールな部分にけちを付けつつ、その相手の馬鹿さ加減の本質を論じているのです。
私のような中途半端な人間にとって、非常に面白く読める本です。

ちなみに、私のバカの基準は「私ってバカじゃないもーん」という奴は確実にバカとみなします。

(少々過激なエントリーでゴメンナサイ)

posted by 中は切っても発出さん at 21:48| 岐阜 ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月15日

さおだけ屋はなぜ潰れないのか?・山田真哉

@バーゲンの商品は半額でも儲かるのか?
・元々バーゲン用の商品が用意されている。
・メーカーや卸の処分品を売っている。
A格安パックツアーは儲かるのか?
・航空会社や鉄道会社も空席で走らせるなら、格安でもいいので料金を取りたいから。
・宿泊施設も1組の客でも10組の客でも固定費が変わらないので、格安で宿泊させる。
・途中のお土産屋の類からマージンを貰う。
B黒字なのに何故倒産するのか?
・不良在庫があるから。
・未回収の売上が多いから。

@〜Bは私が考えたことなので、正解かどうかは責任を持ちません。
しかし、世の中どこかで辻褄が合うのです。
特に数字の世界ではなお一層のことです。(辻褄が合わなければBのケースになってしまいます)
「木を見て森を見る」といいますが、大きな目で見ないと物事の本質がわからないことが多いのです。

「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」は公認会計士である著者が、やさしく財務の仕組みを教えてくれます。
数字に強くなくても数字のセンスがあればいい、と著者は言います。
まさにその通りで、細かい数字ばかりに囚われると、結局は大局を見失って誤った行動をとることが多いのです。
簡単に読める本ですので、就寝前に読むのもお薦めです。




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2005年05月08日

生きる読書・群ようこ

本棚に眠っている本はありませんか。
私は買ったものの、読まずに本棚に眠っている本が30冊ほどあります。
本屋へ行くと結構買ってしまうのですが、読むほうが追いつかず、「積ん読」状態になってしまいます。
それでも、本屋で本を買うときは結構胸がときめいてしまいます。
最近では、このあたりの本屋では入手しにくい本でも、アマゾンで購入できてしまうので、本は増えるばかりです。
でも、アマゾンから本が届いたときは、本当に嬉しい思いがします。

群さんは文筆業であるので、当然本をよく読まれます。
仕事に必要な本から、趣味の本まで私の数倍は本を買われるようです。
しかし、彼女も読まずに図書館へいってしまう本も結構あるそうです。
この本には、群さんが当月に買った本の一覧がありますが、だいたい月に30〜50冊ほど購入されます。
そのうち何冊かは結果的には読まない本もあるのですが、本って買うときのあの嬉しい感じがいいのですね。

福田和也さんは「ひと月100冊読み、300枚書く私の方法」なる本も出されていますが、私はとてもじゃないですが、せいぜいひと月に10冊読むのが関の山です。
その上、4月以降仕事や祭やパチンコで、読書の時間もあまり取れなくて、最近はほとんど読書をしていませんでした。
だから、あまり本屋へも意識的に行かなかったのです。
しかし、群さんじゃありませんが、本屋へ行って本を買う行為も、私には非常に楽しみなことです。
「積ん読」になってもいいんです、これからもとにかく本を買って、読める分だけ読んでいきます。

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2005年03月22日

青春の門・五木寛之

昨日、今日と2夜連続でTBSで「青春の門」を放送していました。
これまでも、何度も映画化されていてお馴染みです。
私も高校生のとき全部読みましたが、私はお馬鹿さんなのですぐに感化され、早稲田に憧れましたよ。(とても入学不可能ですが)
でも、今時の高校生が読んでもあまり感動しないだろうな。

全く関係ないですが、「青春の門」と聞いて、何故か「青春のデーモン小暮」なんて頭に浮かんじゃいました。(くだらねー)
でも、デーモン閣下も早稲田でしたね。
ということで、今日は下らない話でした。

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2005年03月15日

空中ブランコ・奥田英朗

現代に生きる人は、子供から大人まで、そして人だけでなく動物までもなんらかのストレスを持っているといわれます。
つい先日も中津川市で母親、娘、孫を殺害してしまう事件が起こりました。
犯人である息子は母親との親子関係が巧くいってなかったようです。
親子関係を中心にその他の諸問題がストレスとなり、今回の事件を起こしたようです。
その他、最近おきる事件ではストレスが原因と考えられるものが多いのではないでしょうか。
昔はストレスよりも貧困が原因で事件が起きていたと思うのですが、貧しさはなくなっても新たな事件の原因となるものが発生するので、世の中平和にならないのでしょう。

ストレスを無くすにはその原因を取り除くことです。
しかし、なかなか現実には難しいですね。
仕事が原因でも、今の仕事を投げ出すことは難しいことです。
親子関係にしても、親子の縁を切ることは出来ません。
また、本当のストレスの原因は自分が思っていることではないかもしれません。
現在の仕事がストレスの原因だと思っても、実は別のところが原因かもしれません。
その場合は、転職してもストレスは解消されないでしょう。
ストレスとは本当に難しいものです。

この本は、精神科医伊良部が主人公です。
この伊良部は本当に医者かと思われるような行動をとります。
しかし、彼にかかった患者は何故か彼の元に通ってしまうのです。
二度と彼の元に行かないと思っても、何故か彼の診察を受けてしまうのです。
そして、彼のとんでもない治療法(?)によって、患者のストレスを解消して、治してしまうのです。
医学的な治療はやりません。(ビタミン注射を打つだけ)
カウンセリングも常識はずれのものです。
しかし、ストレスの本当の原因を見つけ出し排除してしまう名(迷)医なのです。

世の中のストレスが溜まっている人も、この本での伊良部の行動に大笑いします。
そして、彼の活躍により、読者のストレスまで解消してしまいます。
絶対お薦めの本です。

posted by 中は切っても発出さん at 22:20| 岐阜 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月13日

負け犬の遠吠え・酒井順子

私は今の会社でどちらかというと出世からは縁遠い存在になってしまいました。
まあ、どう頑張っても役員はおろか部店長になることはないでしょう。
となれば、何も会社のために仕事をする必要はありません。
そんな私でも当然、生活がありますので、お給料を貰うために仕事をしますが、自分の為になる仕事をしようと心掛けています。
会社の利益が一番ではなく、(金銭的なものだけではない)自分の利益の為に仕事をして、その結果会社に利益がもたらされればいいと思っています。
そんな私はサラリーマン社会では立派な”負け犬”です。

「負け犬の遠吠え」で、”負け犬”とは30歳以上の独身・子供なしを指しています。
そして、”負け犬”は”負け犬”としてそれなりのプライドは持っています。
本書の中で”負け犬”とみなしているのは、それなりの知性・キャリア・美的感覚・社会適合性等を持ち合わせている人です。
とりあえず、仕事等でキャリアを積んだ人が、婚期を逃してしまったら、”負け犬”としてカミングアウトすると楽になりますよ、ということでしょう。

サラリーマン”負け犬”も同じでして、”負け犬”とカミングアウトすることは簡単ですが、”負け犬"としてそれなりの努力は必要です。
会社に対して最低限の利益貢献はする、秩序は守る、組織からはみ出さない、得意分野を持つ等、の心掛けは必要です。
それすらもち得ない人は”負け犬”ではなく”駄目犬”です。
結婚においても、何も自分を磨くことなく、ただ単に婚期を逃した人は”駄目犬”でしょう。
本書では、”駄目犬”は”駄目犬”になる前に結婚して”勝ち犬”になりやすいと書いています。
”負け犬”になるには当然経済力や生活力が必要で、それがない人は結婚することによりそれらを補わなければなりません。

”負け犬”の女性(男性も)が決して”勝ち犬”になることを諦めているわけではありません。
”勝ち犬”になる可能性はあるのです。
しかし”駄目犬”が”勝ち犬”になる可能性は皆無でしょう。
そんなサラリーマン”負け犬”の私も、人事異動では多少の期待は持っているのですから。

「負け犬の遠吠え」 酒井順子
posted by 中は切っても発出さん at 14:25| 岐阜 ☁| Comment(6) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月07日

インストール・綿矢りさ

昨日の「パネルクイズ・アタック25」の問題で
「4月からドラマ化されるかつての人気アニメ『アタックbP』の主役鮎原こずえを演ずる女優さんは?」
というのがありました。
おー、アタックbPもドラマ化されるのかと感動しつつ、その答えを聞いてびっくり、
「答えは上戸彩」
でした。
「エースをねらえ」に続いてまたまたスポ根ドラマに上戸彩です。
彼女、CMも非常によく出演していますね。
彼女を見ない日はないくらいです。
そういえば、映画も主演するとのことで、その映画の原作が今回の本です。

先に芥川賞受賞作の「蹴りたい背中」を読んでおり、読む順序が逆ではありますが、「インストール」は原作者のデビュー作です。
普通の女子高生が、小学生に誘われてネット風俗に係わっていく話です。
ストリーも文体も非常に平易であり、暇つぶしに読める本です。
受験勉強の袋小路に入った主人公が、小学生に出会いネット風俗の仕事を通じて、迷い道から抜け出ていきます。
そしてまた普通の高校生に戻っていきます。

以前盥アットマークさんが批評されていましたが、この本も「蹴りたい背中」も家庭や学校が舞台になっていません。
我々の高校時代なんて、家庭と学校以外のシチュエーションがほとんど存在しませんでした。
悩むこともそれを解決することも、家庭や学校が舞台になっていたと思います。
今時の若者(死語)は生活場面において、家庭や学校がメインにはなっていないんだなと感じさせる本でした。
結局、主人公に影響を与えたのは、ネット風俗と小学生です。
学校でも先生でも友達でもないのです。
我々おじさんにとっては、興味を持って読むことが出来ました。

あと、この小学生の存在が結構面白いですよ。
簡単に読める本ですので、お暇な方は読んでみては。
まあ、映画は観ることはないでしょうがね。

「インストール」 綿矢りさ
posted by 中は切っても発出さん at 23:00| 岐阜 ☁| Comment(7) | TrackBack(3) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月23日

最終戦争論・石原莞爾

石原莞爾という人物をご存知でしょうか。
私は一昨年に田原総一郎著「日本の戦争」を読むまで彼のことは知りませんでした。
石原莞爾は旧日本陸軍の将校で、満州事変を起こした張本人であり、満州国家建設に尽力した人物です。
こう書くと、武力により何でも解決してしまう、横暴な軍人をイメージしてしまいます。
確かに彼は職業軍事であります、しかも陸軍幼年学校からのバリバリのキャリア軍人です。
彼は確かに満州事変の張本人です。
上層部の命令を無視し、単独で事変を起こしました。
しかし、彼は単に日本のエゴだけで、日本の利益のためだけに行動はしていませんでした。
彼は彼の世界観・国家感に基づき行動をとったのでした。
私は石原莞爾という人物に大変興味を持ち、その後彼の伝記的評論「地ひらく」(福田和也著)を読みました。
そして、今回は石原本人の著書「最終戦争論」を読んでみました。
この本は正確には石原の著書ではなく、彼の昭和15年5月に行われた講演を本にしたもので、その後に行われた質疑応答も併録されています。

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posted by 中は切っても発出さん at 21:13| 岐阜 ☁| Comment(6) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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